家族に障害者がいること
僕のように母が障害者というだけでなく、
家族の誰かしらに障害者がいる場合、
それは世間からすればマイノリティーです。
マイノリティーの生活はマジョリティーが知ることはありませんので、
理解をしてもらうことが難しいのですが、
それ以前に家族に障害者がいることを簡単に公表できるなら苦労はありません。
なぜ後ろめたさを持ってしまうのでしょうか。
なぜあまり知られたくないと思うのでしょうか。
僕は家族に自殺者が出てしまった方たちにも出会って来ましたが、
構造は同じような気がします。
恥ずかしいこと。
あってはならないこと。
障害を持つ本人や自殺で亡くなった方には申し訳ないのですが、
そういう気持ちがあることは否定できません。
しかしその気持ちが湧き上がってしまうのはむしろ自然なことではないでしょうか。
なかには「障害なんて全然気にしないよ」という方もいらっしゃいます。
本当に素敵な生き方だと思います。
一方で自分の本当の気持ちを心の深くに隠して、
そうじゃない自分を演じるのもひとつの手です。
でも周囲からすれば少し痛い人と観られることもあります。
障害児を生んでしまったお母さんには、
罪悪感があっても普通のこと。
兄弟に障害者がいる子供は「いなければいいのに」と思うのも普通のこと。
でも罪悪感100%かというとそういうわけでもない。
本当にいなくなればいいかというとそういうわけでもない。
そういう気持ちが多少はあっても、
やっぱり一緒にいたいとか、
なんとかしてあげたいとか思うのもまた家族です。
思いはうんちと同じです。
思ったことは何らかの形で出さないと心身によくないと僕は思います。
もちろん障害者本人に向かって本音を言うなんてできませんから、
どこかで胸の内を吐き出さねばなりません。
僕も実際溜め込みすぎて色々なストレス反応があらわれました。
声に出すのか、
絵を書くのか、
歌を歌うのか、
買い物をするのか、
人によって思いの表現方法は違いますが、
しばしのストレス解消をすればいいのです。
「障害者が家族にいる」というストレスは、
基本的にずっと続きますのでね。
こまめな心のケアが必要なのです。