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オクラと障がい


先日、障がい者支援をされているあるNPOの代表の方と話す機会をいただきまして、

非常に印象深い話があったんです。

それはあるテレビ番組のドキュメンタリーでオクラについて取り上げていたそうです。

スーパーに並ぶのは、海外産の5本か6本で100円程度のものをよく見ます。

売っているオクラは綺麗にサイズが揃っています。

僕はそういうオクラしか見ませんから、そのオクラがスタンダードです。

でも現地に行ってみると、太いのや細いのや長いやつなど、色々な形があるそうです。

しかもそれらは、僕がよく見る均等なオクラよりおいしいんだそうです。

まぁ、不味いのもあるかもしれませんが…

当たり前かもしれませんが、オクラを生産している会社は売れるオクラを作ります。

そのためには効率化せねばなりません。不均等のオクラをつめるには、

パッケージも複数必要かもしれませんし、機械もシンプルにはいきません。

だったら、一定の範囲で規格を作って、それに適合するものだけを売るというのが、

もっとも効率的です。

その番組では、規格から外れたオクラは全部捨てられていたそうです。

なんともったいない…

そして、「これって障がい者と同じなんです」と。

私は言葉に詰まりました。

健常者と障がい者を区別するものは障がいです。

言い換えれば国が定めた規格なわけです。

規格に適合しない場合は、障がい者として生きていかねばなりません。

そういう区分けが必要なのはわかります。

しかし、障がい者の生きづらさの理由は、

まさにその規格から線引きされる「社会の目」のわけです。

特別支援学校が作られ、障がい者のための就労施設が作られ…

さて、僕はこうした区別が全て悪とは思いません。

それで健常者と障がい者の双方が助かっていることもあるからです。

ただダイバーシティやインクルージョンやバリアフリーだのと言う割に、

その壁がなかなか超えられないことを考えてしまうのです。

現代社会の功績である生産性の追求と効率化は、一方で功罪でもあるんですが、

社会を動かす政治家や企業の社長はそれをほとんど表に出しません。

健常な住民や株主が難色を示しますからね。

自分にとって都合のいいことがトップの仕事です。

政治家や経営者の持つ理念に嘘があるとは思いません。

誰もが住みやすい社会がないこともまた事実です。

そうなると、全体が動くのは困難なので、

動けるエリアが動いていくと言うことになるのですかね。

いろんな形のオクラを販売するお店。

みなさんのお住まいにはありますか?


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