抑圧された感情が及ぼす影響
「いい子」
小さい頃の僕はこの言葉がとても嫌いでした。
親戚のおじさんやおばさんから言われ、
家庭訪問のとき、担任の先生に「マサキくんはお母さん思いでとてもいい子ですね」と言われるたびに、なんだか胸の奥で、『僕はいい子なんかじゃない・・・』という感情があったのをはっきり覚えています。たぶんその時の顔は曇っていたんだと思います。
なぜそのような感情を持ったのか。
当時自分ではわかりませんでしたし、反論したこともありません。
なぜだろうと疑問を持ったこともありません。
そしていい子なんかじゃないと思いつつも、少しは嬉しい気持ちもあり、
複雑な感情が生まれていたことだけは確かです。
それが紐解けたのは2008年、僕が32歳のときでした。
僕は都内にあるカウンセリングやメンタルヘルスを提供する会社に就職が決まっていました。
今思えば奇跡的にその会社に入れたと思います。
だって就職するまでメンタルヘルスなんていう言葉を知らなかったし、
カウンセリングだって利用したことがなかったのです。
採用していただいたMさんには本当に感謝です。
ちなみにネットで検索すればわかると思いますが、カウンセリング機関への就職は狭き門です。
ボランティアやアルバイトならまだしも正社員になるのは席が空いていません。
この業界はまだ成長途中で、個人サービスや法人向け合わせると市場規模は300〜500億程度です。近年ストレスチェックの義務化で市場を大きく伸ばしているので、今後は少しずつ仕事ができてくると思います。
カウンセリング機関の就職の話はまたいつかしたいと思いますが、
僕は仕事をするにあたり、自分でカウンセリングを利用しないことには話にならないだろうと、カウンセリングを受けてみることにしました。
確か60分で10,500円くらいだったと記憶しています。
この料金についても、色々な価値観がありますが、僕は結果的によかったと思っています。
この話もいずれしたいと思います。
僕を担当していただいたカウンセラーは、女性で40代後半から50代前半くらいだったでしょうか。
簡単に個人情報の取り扱い等の説明を受け、
僕は「カウンセリングがどんなものか一度受けてみたい」といったことを話したと思います。
そしてカウンセラーは「ゆっくり目を閉じてください」
「心に浮かんだことをなんでもいいのでおっしゃってください」
と言いました。
(このカウンセリング技法は自由連想法といって、心理学者フロイトが有名ですが、無意識に働きかける精神分析のアプローチです)
僕は言われた通りに目を閉じ、
こころ?というか何か感じるものを話せばいいんだなと思いました。
しかし一向に浮かんでくる気配がありません。
真っ暗です。
僕はずーっと目を閉じて、
「なんだこれ?本当にこんなことでいいのか?」
「何にも浮かんでこないじゃん」
と訝しんでいました。
それでもカウンセラーは時折やさしく声をかけてくれて、
静かに僕の言葉を待っていました。
20分くらい何も浮かんでこず、
「あ〜あ何か意味あるのかな?」
なんて思っていました。
カウンセラーはただただ静かに待っていました。
今に思えば僕の心には防衛が働き、
『話してなるものか!』という抵抗があったのだと理解しています。
そうこうして時間が流れ、少し緊張が解けたのでしょうか。
ふと光が見えました。
「明るい光が見えます」
とポロリこぼすと、
カウンセラーはその言葉を丁寧に僕に確認してきました。
「明るい光が見えるんですね」
「はい・・・」
決して詮索するようなことなく、
ただゆっくりと丁寧に、
僕の言葉を確認してくれたように思います。
ちなみに本当のカウンセリングを知らない人は「カウンセリングってただのオウム返しでしょ?」と揶揄しますが、これは的を射ていません。
カウンセラーが未熟だとオウム返しに聞こえてしまうだけであって、
プロは服装や化粧を確かめるための鏡と同じく、
クライエント自身が自分を振り返ることができるようフィードバックするのです。
同じ言葉を返しても、声色や抑揚や表情・態度、間や声の大きさ・早さなどで
受け取る側の印象が違ってしまいます。
カウンセラーはそうしたことにとても注意を払っています。
まぁ、これも後々わかったことですが・・・
話がそれました。
光が見えてからの話はほとんど覚えていませんが、
自分が言った強烈な一言だけは忘れることができません。
それはゆうに60分を過ぎていたと思います。
ドライなカウンセラーなら「はい、今日は時間ですから」と終わりにしてしまうでしょう。
でもサービス業なのだからそうあっても仕方ないのです。
しかしそのカウンセラーは時間を延長して付き合ってくれました。
それにも本当に感謝ですが。
光が見えてからの話は止まらなかったと思います。
次から次へと込み上げてくるものがありました。
それを僕はカウンセラーに伝え、カウンセラーはそれを丁寧に受け止めてくれました。
言葉にならないようなことも、
ひとつひとつ絡まった紐を解くようにやりとりしていったと思います。
そして自分で言ったことにとても驚いたのです。
「僕が生まれてきたことで母親の目が見えなくなったんじゃないか・・・」
「僕なんか生まれてこなければよかった・・・」
僕は号泣していました。
なぜそんな言葉が出てきたのか、
その時の僕にはわかりませんでした。
僕はそれまでの30年間、
一度もそんな思いを抱いたことなど記憶にありませんでした。
僕は自分がそんなことを思っていたんだと、
生きづらさの正体がわかり、自分のことを少し愛せるようになりました。
僕は自分の思いが知れて結果的によかったと思いますが、
潜在的な思いを顕在化させることが必ずしもいいとは思いません。
知らない方がよかったという場合もありますのでね。
知ってしまったことで、余計にそれに囚われるようになったというケースもあります。
カウンセリングがクライエントの人生に大きな影響を与えることもあるので、
カウンセラー自身の人間力がとても重要な仕事ですよ、カウンセリングって。
偉ぶる僕にはたぶん向いてないでしょう・・・(笑)
また話が逸れました。
言いたいことがたくさんあるんですね、僕は・・・。
「生まれてきてよかったのか」
こうした思いは、僕に限らず多くの方が持っていることを、
僕は心のケアの仕事を通して知りました。
生きづらさを抱えている人のほとんどが持っているように思います。
漫画ワンピースのルフィの義兄ポートガス・D・エースも死ぬ直前にこう言っています。
「…おれは”生まれてきてもよかったのか”
欲しかったのは…その答えだった」
でも「生まれてきてよかったのか」なんてことは誰もが思うことでもありません。
そんなことを全く思ったことなく生きる人もいます。
例えば死にたいと思ったことが一度もない人だっているのです。
これを読んでいるあなたはあるでしょうか、ないでしょうか。
僕はもちろんありますよ。(笑)
こうした「死にたい願望」は希死念慮と呼ばれます。
ただちに対策をする必要はありませんが、ストレスが増したり強くなってくると、
極端な話、自殺企図、つまり死ぬことでストレスを解消しようとする場合があります。
ですから普段のセルフケアが重要なわけです。
セルフケアで対処しきれるうちは問題ありません。
セルフケアではどうしようもない状況では、周囲のサポートがより重要になりますね。
ちなみに以前、
母にも同じ質問をしました。
「母さんさぁ、俺が生まれて1歳半で一番大変なときに、
28歳という一番輝いているときに、目が見えなくなって、
俺だったら絶望して死ぬことも考えるかも知れない。
母さんは死ぬこと、考えたことないの?」
「それはない」
「一度も?」
「一度もない」
即答でした。
僕に何か遠慮しているわけでもなく。
僕の一番身近な人にそういう人がいたのです。
僕はただただ尊敬です。
そんな人になりたいなぁと思いますので。
ちなみに父にこんな質問をしたこともあります。
「父さんは母さんが28歳のとき目が見えなくなって、
俺が生まれてすぐだったけど、子育ても母さんのこともとても大変だったでしょう?
当時は視覚障害者というだけで周囲から疎まれたりするし、離婚するっていう選択肢もあったんじゃない?なんで母さんと一緒にいることを選んだの?」
「そんなこと考えすぎても仕方ない。俺は好きなことさせてもらったからな」
僕はその時に教えてもらったんです。
「考えすぎても仕方ない」
これは僕にとても響きました。
僕はとにかくなんでもかんでも考えすぎて動けない状況をよく作ってしまいます。
答えが数学のように出るものなら考えるのもいいかもしれません。
でもこういう答えのないことについて、自分は考えすぎる癖があるんだなぁと気づかせてもらいました。
そして振り返れば父はネガティブなことを言った記憶がありません。
母はネガティブなことをよく口にしましたが…。
あれ?こんな身近にポジティブを体現している人がいたんだなぁとも気づきました。
灯台下暗しです。
僕は「いつでも明るくポジティブに!」なんて言う人は好きになれません。
ネガティブがあっていいし、明るくなくても暗くたっていいと思います。
ましてや前向きじゃなく後ろ向きに生きていたっていいと思います。
だってそれはその人の生き方だから、それを前向きに生きようなんて方向転換させようとするほど、本人にとって苦しいことはありません。
全ては「今」の生き方でしかありません。いずれ前向きになれるかも知れない。なれないかもしれない。それでいいんじゃないでしょうか。
ちなみに「私、ストレスないの!」という人もあまり好きではありません。
その人にはストレスがないかもしれないけど、その人自身が周りの人のストレスになっていることがあるからです。僕はその現場をよく見てきました(笑)。「俺、ポジティブなんだよ〜」という人に限って、周りにはたいていその人を嫌っている人がいたりします(笑)。
本人がストレッサーになっていることに気づいていない幸せ者なのです。ま、ある意味羨ましいですね。
あ!また・・・とにかく話を逸らすのが好きみたいです。
そろそろまとめると、
僕は母親が目が見えなくなったことを自分のせいだと思っていたようなんです。
飛んだ勘違いですが、でもそれは自覚したことがなくて、心の奥深くに抑圧していたのだと理解しています。
振り返れば、僕は小さい頃母親の目を直す方法を探していたし知りたかったし、
友達の家に遊びに行くと、母親がケーキを作ってくれたり目が見えているのが羨ましかったです。
僕の母は人工透析(失明と同時期に腎臓病も患ったのです)の影響で、家ではほとんど横になっていたので、外に出かけることもあまりなくて、旅行なんて皆無でした。
「普通」というものにとにかくとにかく憧れました。友達がしている暮らし、持っているモノ、きょうだい・・・
それを隠すように強がっていましたし、気持ちを隠していました。いつだって冷静な自分を振る舞ってました。でもそんなこと自覚がないんです。子どもですからね。
家族内で母の目が見えないことについては話したことは、僕の記憶ではありません。たぶん母も余裕がなかったんだと思いますし、悩んでいたと思います。今度またそのときのことを母に聞いてみたいと思っていますが。
僕はきょうだいもいなかったので、そうしたことを抑圧してきたんだと思います。誰にも言えなかった。もちろん言うなんて発想すらありませんでしたから、抑圧するしかなかったんです。そうしないと自分が崩れてしまうから。
つまり全てがクローズされてきた。それはもうとても大きなマグマになります。
万引きをはじめ、色々悪さもしましたよ。まぁ、事件性はないですからかわいいもんかもしれませんが。
僕は自分の「抑圧」をカウンセリングや大学での勉強、仕事を通して整理してきました。
だから今、父と母にも当時のことを聞けるのだと思います。聞くという発想が生まれたのだと思います。
歳をとったことも大きいかもしれません。
ただ、抑圧してきたことが全て問題だとは思っていなくて、逆にそれがエネルギーになっていることもあります。今こうして僕が活動を始めていることの原動力にもなっていますし。ただプラスに転じるまでには相当の年月がかかっています。もしかしてマイナスが強過ぎたら、何か事件を起こしていたかもしれません。そう思うと怖いですけどね。
そして僕は思ったんです。
事実は変えられないけど、わかってくれる誰かがいれば、上手に聴いてくれる人がいれば、僕の気持ちもだいぶ変わったに違いないと。
もし小さい頃に、安心できる安全な場所で自分の親のことを話せる場があり、聞いてくれる人がいたら。
もし僕と同じ境遇の方がいて、自分一人だけじゃないんだと思えたら、と。
家族の話はセンシティブなこともあるので、気軽に友達に話すということもなかなか難しい場合がありますし、内容によっては家族内でさえもそういう話ができなかったりします。
そこまで重たい話じゃなかったとしても、例えば1週間のうち何日か習い事をしている子どもがいて、親には習い事は楽しいと言っているけれど、遅刻して行ったり、風邪もひいてないのに休みたいと言ってくることがある。それで親が「頑張って」と一緒に行くと行く。
例えばご主人の帰宅が遅くて、土日も仕事をされているようなご家庭で、父親が休みの時に子どもがべったりくっつく。これはよくある光景かもしれませんが、こういうことを子どもに聞いてみることが僕は大事だと思います。
「Aちゃんさぁ、パパがいるとべったりくっつくようにママには見えるけどどうして?」
「だって、パパと一緒にいられると嬉しいもん」
「そっかぁ、パパと一緒にいられると嬉しいんだ」
「うん、Bちゃんのパパはさぁ、二人で買い物に行ったりするみたいなんだ」
「へぇBちゃんのパパはBちゃんと二人で買い物に行ったりするんだ」
「うん」
「Aちゃんもパパと買い物行きたい?」
「うん!」
なんて会話があったりします。
これはたわいもないことかもしれませんが、子どもは知らず知らずのうちに他の家族と自分の家族を比較するものです。
比較しない生き方ができるのは理想ですが、子どもは集団生活をする中で、
成績という比較社会の中で生活をしますから、そういう視点で物事を見るようになります。
他にも夫婦喧嘩を目撃する子どもに夫婦喧嘩を説明することも大切かもしれません。
冷静な時に、
「Cくんさぁ、パパとママの喧嘩を見てどう思った?」
「嫌だなぁって思った」
「嫌だなぁって思ったんんだ。どうして嫌だなぁって思ったの?」
「う〜んよくわかんないけど、なんか嫌だなぁって」
「よくわかんないけど、なんか嫌だなぁって思ったんだ」
「うん。なかよくしてほしいなって」
「そっか、なかよくしてほしいよね」
「うん」
「Cちゃんには難しいかもしれないけど、パパとママが喧嘩するのってさぁ、たまに必要だったりするときあるのよ」
「なんで?」
「 Cちゃんさぁ、じぶんのおもちゃを誰かに取られたら嫌でしょ?」
「うん」
「それってさぁ、嫌なことがあるってことじゃない?」
「うん」
「嫌なことがあるときはさぁ、怒ってもいいんだよ」
「う〜ん難しい・・・」
「そっかぁ、難しいかぁ」
「うん」
「嫌な時はさぁ、嫌だ!って言ってもいいんだよ。パパとママもさぁ、
嫌だってときがあるからね、喧嘩しちゃうんだけどさ」
「うん」
「でもCちゃんはあまり喧嘩って見たくないよね」
「うん」
「もしさぁ、パパとママが喧嘩しないで済む方法があるとしたらさぁ、どんなことがあるかなぁ」
「う〜ん。Dくんのパパとママはさぁ、喧嘩したらよく手をつないでるって言ってたよ」
「そっかぁ、手をつなぐのかぁ。ママ恥ずかしいなぁ(笑)」
まぁこんなうまく会話が進むことは多くないかもしれませんが、
僕は子どもには上手に話を聞くだけで、
子どもの鬱積した思いが解放されていくように思います。
普段の思いはチリのようなもの。
でも積もれば山になります。
僕は山になる前に掃除してあげたい。
だって子どもは掃除する方法を知らないのですから。
僕は日常の思いを整理する場所が必要だと思っています。
それは重たい話だけではなく、ささいなことだったとしても、
整理をする習慣を身につけないと後になって影響するからです。
子どもに対しては親が、関係する人たちが上手に話を聴けるようにならなくてはなりません。
オープン&セーフティーに話し合える場があれば、心に闇を抱え続けなくて済むだろうと思っています。
家族の話を気軽に隣の人と話し合うことができる社会になればいいなと思っています。
「生まれてきてよかったのか」
その質問への答えは、
一般的には「いいんだよ、生まれてきて」となりますが、
自分が納得するかは別問題です。
その答えは僕自身が「生まれてきてよかったのかもしない」というところから、
いずれ「よかった、生まれてきて」と思えるようになればいいんですが。
僕は昨年はじめて親になって、自分の体験を振り返り、
子どもが感情を抑圧し続けることの苦しさを再認識しました。
生きやすい世の中を作るには、
一人一人の生きやすさを確認しなければなりません。
それは決して効率化できませんから、
僕はとにかく話をする場を作っていこうと思っているのです。
こうして考えながらも、
ああ行動に移すのが怖いなぁ、
誰も来てくれなかったらどうしよう・・・
などと、いつもの臆病風も吹いています(笑)。
時間はかかるかもしれませんが、
僕の生きる理由がここにあるとなんとなく思うので、
今日もそのために頑張ろうと思います。
長文・乱筆にお付き合いくださいましてありがとうございます。