家族を歌う。
僕が音楽活動をするにあたって、
テーマにしている「家族を歌う。」
ここに行き着くまでにはだいぶ時間がかかりました。
僕は高校生の時、
人生の路頭に迷っていました。
簡単に言えば、
この先なにやるんだ?ということです。
そんな僕を救ってくれたのが音楽だったんです。
歌を歌ったり、
曲を作ったりすることで、
生き延びてきました。
17歳の時に音楽を始めて、
ボイストレーニングに通い、
オーディションに応募し、
コンテストに出場し、
ライブもやってきました。
チャンスを掴もうと23歳のとき、
東京に出てきましたが鳴かず飛ばず。
一時期事務所のようなところにも通いました。
オリジナル曲もたくさん作りましたが、
どこにも引っかからない。
まぁ、才能がなかったのでしょう。
27歳の時に一旦音楽活動を止め、
働くことにしました。
札幌に住み、
愛媛県の松山にも住みました。
そのうち結婚し、
再び東京に出てきました。
しかし長くは続かず、
2011年の震災直後の5月に離婚。
本当にあのときは生きた心地がしませんでした。
ただ、僕は離婚を機に、
もう一度音楽をやってみようと思ったのです。
ギターの弾き方、
曲の作り方を思い出して、
久しぶりに作った曲がCinemaです。
その後も曲をたくさん作りました。
でも、
何かが違う。
僕は、
音楽を自分のためにやっていました。
自己満足だったのかもしれません。
曲を聞いた人が、
「あぁ、これ私の曲だ!」
と思ってくれることが、
曲に価値が芽生えるように思えます。
そういう音楽を僕は作ってきたのか。
それに気づくのに、
だいぶ時間がかかりました。
じゃぁ、
僕が心から届けたいと思う歌はなんなのか。
そうした問いに、
「家族にまつわる歌」だけが明確に答えられるものでした。
僕は母が網膜剥離で目が見えない身体障害者だったので、
「普通の家族」に強烈な憧れがありました。
そして一人っ子で、
ずっとそれを誰にも言うことなく抱えてきた23年に及ぶ月日。
心に深く閉ざしていた思いがたくさんありました。
僕は、
障害者家族に関わらず、
家族関係で悩んでいる方がたくさんいることを、
仕事を通して知りました。
人の表には出せない声を歌にして、
少しでも癒すことができるなら、
と思い、家族の歌を歌っていこうと決めたのです。
僕は、
音楽を始めて23年経って、
ようやく自分の歌うべき場所を見つけたのです。